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建築-7

 岩国徴古館
 ずっと訪れてみたかった岩国徴古館。 67年前、終戦の年の完成らしく「竹筋コンクリート」という噂があるのも頷ける。 軍需施設以外におそらくほとんど新築の建物など建っていなかったであろう時代に、建築が作れるという佐藤武夫の喜びが伝わってくる。
 これは裏側の外観。 かなり無骨な印象だが砂利とセメントで作られたプレキャストパネル(?)がいい味を出している。 しっかり時間を受け止めることができる素材。
岩国



 パネル詳細。 かなりラフなテクスチャーに几帳面すぎない目地がいい。
岩国



 エントランスホール見上げ。 ここも外壁と同じ素材が使われている。
岩国



 展示室内部の印象はがらりと変わってしっくいのアーチが清楚な印象を与えている。
岩国



 戦争で不足している鉄は使えないが、何とか曲線の階段にしたかったんだろうな。 思いの強さがよくわかる階段。
岩国



星野哲郎記念館
 同じ日に佐藤総合計画つまり佐藤武夫が作った事務所の最近作(2007年)を観た。 やはり隔世の感がある。 この建物は67年後どうなっているだろう。




 組織事務所の作品にしては、ずいぶん冒険的な作りだと雑誌掲載の時から機会があれば見てみようと思っていたが、岩国徴古館とセットで観るとより違いが際立って興味深かった。




 I.M.ペイの設計したワシントンD.C.にあるナショナルギャラリー東館もずいぶん尖ったところがあって、思わずなでさすったことがあるが、ここもかなり尖っている。
 ただし、さすがにコンクリート打放しでこの角度は無理があるようで、裾の部分の補修箇所が割れていた。




広屋団地(現代計画研究所)
 星野哲郎記念館と同じ周防大島で偶然見つけた木造団地。 以前建築雑誌で見ていたので運転中ちらっと見ただけで反応できた。




 調べてみると、16年経っているようでしっくりとまわりに馴染んでいた。 間の広めの路地のようなところで立ち話をしている人がいて、設計者がみたらうれしいだろうなと思いながら見学した。

 

建築-6

 バーゼル ユニオン銀行
 学生の頃マリオ・ボッタにあこがれた。 その後、いくらか好みからはずれてきたがきっちりとした作り方は好感が持てる。 これもボッタらしさにあふれている。
 通りに電柱はあるが、日本のようにトランスがないので割とすっきりしている。



 丸窓の詳細。 カルロ・スカルパゆずりの納まり。


バーゼル シグナルボックス
 
写真ではわかりづらいが、内部は鉄道の信号を管理する事務所(?)のようなスペース。
列車からの見え方が気になって、わざわざ用のないのに一駅分列車に乗った。 これまでまったく見たこともない建築で、わくわくした。


近寄ってみると、銅板の微妙な曲げで形作られる微妙な表情があった。



バーゼルの集合住宅
 
学生の頃、いつかリヴィオ・ヴァッキーニの建築を見たいと願っていた。 念願が叶ってバーゼルでいくつか出会うことができた。 これはそのうちのひとつ。
 思った通りひっそりとした佇まいで、強い自己主張などとは無縁のプロ好みの建築だった。


フレームレスのガラス引戸と外付けのブラインドがすっきり納まっている。


これは設計者は違うが近くで出会った「絶対に外壁を汚さない」という気合いの入った水切のディテール。


バーゼル リハビリテーションセンター

 こんな豊かな医療施設は見たことがない。 緑豊かな敷地にゆったりと2階建て、多くの中庭を内包しており色々な方向に視線が通る。


 木製サッシュがむやみに大きく開放感がある。 中庭の「雑草」のような植栽計画がいい。


駐輪場の鉄製の扉。 こういうささやかな遊び心にいたく感心する。 自転車をぶつけて多少曲がっても気にならないデザイン。



バーゼル バイエラー財団美術館
 チケット売場のガラス庇が潔い。 出来そうでできない解決方法だ。
 

手前にお金やカードをのせると中の人が丸い部分をくるりと回転させてそれらを受け取り、代わりにチケットをのせてまたくるり。 これなら寒い季節も外気がほとんど入らない。 つまりお金のための回転ドア。

建築-5

丸亀市 猪熊弦一郎現代美術館・図書館
 完成して間もない頃に一度訪れて以来、久しぶりに見学した。 外壁の天然スレート(バーリントンスレートという石そうだ)の鉄分が現れたのか、以前に比べていくらか赤い縞が見えている。
 改めて、抑制が効きつつ、メリハリがあって大胆だと感じた。
いのくま



同上 内部吹き抜け
 この時点で完成後14年経っているが、竣工時のすがすがしさをそのまま保っていることに心を打たれる。 いつまでもこの状態を維持してほしい。 単なる階段がなぜこんなに美しいのだろう。 思わずため息が出る。
いのくま


兵庫県立美術館
 立地が大雑把な埋立地のせいか、建物もそれに呼応するように大味な印象だった。 街区が大きいためアプローチも建物が見えてから延々歩かなければならず、ハード。
兵庫県立美術館



ランニング・グリーン・プロジェクト
 山口県の日本海側を車で走っていてこれを偶然見つけたときはうれしかった。
思わずブレーキを踏み(追突されなくてよかった)わくわくしながら見学した。
日本のレンゾ・ピアノか、と思った。 三分一さんにはいつも期待している。
Running Green Project



同上 柱脚
 
ディテールも美しい。 耐久性は大丈夫かなと少し心配になるが、今まで数年おきに3回ほど見学したが、まだ問題はなさそう。
Running Green Project



同上 男子トイレ
 トイレも美しい。 とても気持ちのいい空間になっている。
Running Green Project

建築-4

北野アレイ
 何年ぶりかで訪れてみると、打放し部分は塗装されていた。 残念。
しかし、スケール感の親しみやすさは以前のまま。 なつかしい。
北野アレイ  



ローズガーデン
 これも思い出深い建築。 ふたつのヴォリュームを平面的にも断面的にもずらしながら隙間をあけることで、敷地形状と高低差にうまくなじませ豊かな半屋外空間を作り出している。
ローズガーデン



北野アイビーコート
 学生時代に永島くんと見学に来たことを思い出す。 蔦も育ち、外壁の煉瓦タイルも味わいが出ている。
北野アイビーコート



リンズ・ギャラリー
 複雑な動線は建築好きにはこたえられない魅力があるが、一般の客にはあまりうけよくないのか、わりとひっそりとした印象。

リンズギャラリー



ウォールアベニュー
 このむずかしい敷地をものともせず、果敢に挑戦する姿勢はすごい。
ウォールアベニュー


気持ちはわかるけど
 私たちのような何も買わずにウロウロ、キョロキョロしているだけの見学者は迷惑なんでしょうが、ここまでする例もめずらしい。
ウォールアベニュー

2008年〜2010年 読了本

世界は分けてもわからない
 哀しいことにだんだん、本が読めなくなった。

さっきまで優しかった人,片岡義男  夏目漱石全集 5,夏目漱石  大人は愉しい,内田樹・鈴木晶  鬼平犯科帳 1,池波正太郎  オーデュボンの祈り,伊坂幸太郎  カテドラル,デビッド・マコーレイ  「給食」って誰のもの?,河野淳治ほか  熊の敷石,堀江敏幸  夏目漱石全集 6(門・彼岸過迄),夏目漱石  村上ソングズ,村上春樹・和田誠  ティファニーで朝食を,トルーマン・カポーティ  笑う未亡人,ロバート・B・パーカー  ひとりでは生きられないのも芸のうち,内田樹  未亡人の一生(上),ジョン・アーヴィンク  未亡人の一生(下),ジョン・アーヴィング  ありがとうございません,檀ふみ  ラッシュライフ,伊坂幸太郎  磯崎新の都庁,平松剛  郊外へ,堀江敏幸  佐藤可士和の超整理術,佐藤可士和  パニック・裸の王様,開高健  新・東京23区物語,泉麻人 東京奇譚集ー2回目,村上春樹  河岸忘日抄,堀江敏幸  回転木馬のデッド・ヒートー3回目,村上春樹  スプートニクの恋人-2回目,村上春樹  真相,ロバート・B・パーカー  建築家 安藤忠雄,安藤忠雄  うちの猫ら,吉松文男・直子  夏目漱石全集 7,夏目漱石  火と水と木の詩 私はなぜ建築家になったか,吉村順三  ほんとうの環境問題,池田清彦・養老孟司  サーカスの息子(上),ジョン・アーヴィング  昭和のエートス,内田樹  神も仏もありませぬ,佐野洋子  夏目漱石全集 8,夏目漱石  1Q84(BOOK1),村上春樹  1Q84(BOOK2),村上春樹  ある日の村野籐吾,村野敦子  すまいの風景 Come on-a my house2,中村好文  サーカスの息子(下),ジョン・アーヴィング  建築への思索−場所を紡ぐ,益子義弘  蕎麦処 山下庵,山下洋輔  生物と無生物のあいだ,福岡伸一  磯崎新の発想法,磯崎新  うちの猫ら2,吉松文男  回送電車,堀江敏幸  世界は分けてもわからない,福岡伸一  美しいもの,赤木明人  夏目漱石全集 9,夏目漱石  めくらやなぎと眠る女,村上春樹  日本辺境論,内田樹  冷たい銃声,ロバート・B・パーカー  1Q84(BOOK3),村上春樹  黄昏,南伸坊・糸井重里  建築の地層,磯崎新  美しいこと,赤木明登  "中村好文 普通の住宅、 普通の別荘",中村好文  建築における「日本的なもの」,磯崎新  "さよなら、愛しい人",レイモンド・チャンドラー  告白,町田康  造物主議論 デミウルゴモルフィズム,磯崎新  めぐらし屋,堀江敏幸  人体の影 アントロポモルフィスム,磯崎新  文房具を買いに,片岡義男  神の似姿,磯崎新  コンスタンティノープルの陥落,塩野七生  夏目漱石全集 10,夏目漱石  建築家のおくりもの,磯崎新  暗号解読(上),サイモン・シン  レパントの海戦,塩野七生  新建築学大系31 病院の設計,  暗号解読(下),サイモン・シン  "村上春樹、河合隼雄に会いにいく",河合隼雄・村上春樹  シャーロック・ホームズの冒険,コナン・ドイル

建築-3

 グラントワ 2010.9.12見学
  大変な力作だった。 内藤さんの建築はこれまで、東京のTOM、いわさきちひろ美術館、虎屋を見たが、間違いなくこれがもっとも良くできている。
 屋根・外壁の瓦と中庭の水盤。
グラントワ1



多摩美図書館 2009.10.31見学
 多摩美は九州から行くには、かなり不便な場所だった。
この図書館は建築として大変過激な意味をもっているにもかかわらず、むしろ静かな佇まいだった。
多摩美-1


公園-2
 これも日本ではお目にかかれない公園。
おそらく防犯のためもあるだろうが、視線がすっと通り死角がない。

 きっちりと敷き詰められた石畳と樹木の対比がすばらしく「これらの樹はずっと残すんだ」という意志が感じられる。
 あれもこれもと付け足して盛りだくさんになったあげく、この公園での禁止事項を連ねた看板でこれでもかと人を規定したがる日本の公園と違い「引き算の公園」といった趣がある。

公園-2


公園-1
 こういう公園がなぜこの国にはないのか。
いわゆる子供向けの遊具がない。
芝と樹木だけ。
芝の管理がきちんと行われている。
樹木が大きい。
ちまちまとした街路樹や歩道脇のひねた植込みをむやみに増やすより、こういうシンプルな公園を作っていった方が管理費もかからず、はるかに気持ちが良い。
 予算消化のために縁石を御影石にするよりは、縁石そのものをなくすことを考えるべきだろう。
公園-1
ベルリン ドイツ歴史博物館
 I.M.ペイの建築は非常に完成度が高い。 そして同時に安易な方向に流れることなくいつも果敢に挑戦する姿勢に頭が下がる。
 ルーブルの螺旋階段も大変美しく緊張感にあふれた造形だが、こちらの階段も軽やかで気品に満ちた階段として永く建築史に残っていくだろう。 無垢の石と無垢の鉄、ガラスが醸し出す「本物感」とそれらを極限まで使い切っているすがすがしさがあった。
 ところで、同じペイが設計したワシントンD.C.に建つナショナルギャラリー東館は鋭角に尖る外壁で有名である。 出隅部分をなでさすり、その尖り具合に感動した日から22年の時間が流れた。 なんということだ。
ドイツ歴史博物館


みどりの天蓋
 これまで見た中でもっとも美しく豊かな駐車場。
ベルリンの「マーティン・グロピウス・バウ」
 こころなしか、車たちも居心地がよさそう。
ベルリン-駐車場

Billie Holiday / Lover Man

BILLIE HOLIDAY / LOVER MAN
 ビリー・ホリデイは不思議な歌い手だ。
特別に美しい声の持ち主というわけではない。 一般的に言って、歌が極端にうまいわけでもない。(とくに「クスリ」の影響もあり後期の彼女の声域は極端に狭く、痛々しいくらいだ)
 しかし、にもかかわらず彼女の声は魅力的であり、その歌唱は誰にもまねできないある種の「いつくしみ」に満ちあふれている。
 深くもあり、軽やかでもあり、暗くもあり、かわいらしくもある。 そして愚かなことに、ずっと聴き続けてやっとわかったが、彼女はすごくうまい。
 このアルバムは大学生協で見つけ、臼杵の大仏のようなジェケット写真に抵抗感を覚えつつも購入した思い出がある。 たしか1300円だった。
 バッキングはいわゆるコンボではなく、ストリングスとコーラス付の演奏で、その頃(いまでもそうだが)青二才の私は、その「甘さ」をばかにしつつ聴いていた。
 しかし、結果的になぜかターンテイブルに乗る回数がもっとも多いレコードのうちの一枚になった。

堀部安嗣の建築  堀部安嗣

堀部安嗣の建築
 堀部さんは私よりも若いけれどあこがれの人だ。 若くて優秀な建築家はたくさんいるけれど、その人と同じ方向をめざしたいと思わせる人はそれほど多くはいない。
 誠実で無駄がなく、つつましやかで、かといって貧しくもなくシンプルで、簡素だけれど日々のくらしを切り捨てたりせず、暖かみがあるけれどべたべたせず、という建築はきっと彼の人柄があらわれているのだろう。
 当然中味もすばらしく、自身で撮った写真も設計者ならではの観点で、文章も真摯でありつつ嫌みがなく、図面も装丁も美しいというまったく非の打ち所がない本だ。

Abbey Lincoln / You Gotta Pay the Band

You Gotta Pay the Band
 アビー・リンカーンは怒るとずいぶん怖かった。
10年ほど前、ブルーノート・フクオカでのライヴに行ったとき、彼女の歌をろくすっぽ聴かずにがやがやとしゃべっていた接待サラリーマン風の男たちをステージの上から睨みつけ、すくみ上がらせた光景が目に焼き付いている。
 しかし、そういう腹のすわった女性でなければこのような深い味わいをもった歌を作り出すことはむずかしいのかも知れない。
 特に1曲目の「Bird Alone」と4曲目の「Brother, Can You Spare a Dime」がいい。
 しかし、もっとも惹かれたのはスタン・ゲッツのソロ。 彼の歌心がもっとも表れたプレイのひとつだろう。

2007年 読了本

いつか王子駅で
2007年はこんな本たちと出会った。(どれも律儀に最後まで読んだが、結局出会えない本もいくつかあった)

老化とは何か 今堀和友、 私たちが孤児だったころ カズオ・イシグロ、 老いはこうしてつくられる 正高信男、 昭和33年 布施克彦、 Herzog &de Meuron 1987-2002 Herzog & de Meuron、 ローマ人の物語 15 塩野七生、 これだけは、村上さんに言っておこう 村上春樹、 鹿児島の原風景 田良島昭、 私家版・ユダヤ文化論 内田樹、 下流志向 内田樹、 チャンス ロバート・B・パーカー、 彼らの流儀 沢木耕太郎、 ロング・グッドバイ レイモンンド・チャンドラー、 鳥人計画 東野圭吾、 悪党 ロバート・B・パーカー、 夏目漱石全集 4 夏目漱石、 逆立ち日本論 養老孟司・内田樹、 ノルウェイの森(上)-2回目 村上春樹、 ノルウェイの森(下)-2回目 村上春樹、 狼少年のパラドクス 内田樹、 突然の災禍 ロバート・B・パーカー、 包帯クラブ 天童荒太、 逃げていく愛 ベルンハルト・シュリンク、 くっすん大黒 町田康、 チョムスキー入門 町田健、 文化人類学の視角ー2回目 山口昌男、 きれぎれ 町田康、 日本男児 赤瀬川原平、 蹴りたい背中 綿矢りさ、 街場の中国論 内田樹、 eメールの達人になる 村上龍、 沈黙 ロバート・B・パーカー、 村上ラヂオー2回目 村上春樹・大橋歩、 津軽ー2回目 太宰治、 桜の園・三人姉妹 アントン・チェーホフ、 賃労働と資本 賃金、価格および利潤 カール・マルクス、 国境の南・太陽の西ー2回目 村上春樹、 夜勤刑事−2回目 マイクル・Z・リューイン、 私の建築手法 '04 妹島和世ほか、 ハガーマガーを守れ ロバート・B・パーカー、 近代絵画史(上)ー2回目 高階秀爾、 マリナー氏の冒険譚 P・G・ウッドハウス、 ポートレイト イン ジャズー2回目 和田誠・村上春樹、 ポートレイト イン ジャズ 2ー2回目 和田誠・村上春樹、 近代絵画史(下)ー2回目 高階秀爾、 刑事の誇りー2回目 マイクル・Z・リューイン、 いつか王子駅で 堀江敏幸、 海辺のカフカ(上)ー2回目 村上春樹、 海辺のカフカ(下)ー2回目 村上春樹、 ポットショットの銃弾 ロバート・B・パーカー、 村上春樹にご用心 内田樹、 走ることについて語るときに僕の語ること 村上春樹、 雪沼とその周辺 堀江敏幸、 フェルマーの最終定理 サイモン・シン、 リンボウ先生 イギリスへ帰る 林望、 どうして僕はこんなところに ブルース・チャトウィン、 

ジーヴズの事件簿ほか  P・G・ウッドハウス

ウッドハウス
 まだCDなどないLPレコードの時代に「ジャケット買い」いわゆる「ジャケ買い」という行為があった。 この本はジャケ買いならぬ「装丁買い」(想定外ではなく)で選んだもの。
 ジャケ買いに意外とはずれが少ないように、装丁買いも裏切られることがあまりない。 けっきょく中身に自信があるからそれに見合った装丁にしようと力が入るためだろう。
 この森ヒカリさんの装丁、コシマキも含めて本当にすばらしい。 クラフト・エヴィング商会の装丁もいいけれどチャーミングという点ではこちらがまさっている。
 で、中身。 どれもみな英国的テイストに満ちていて楽しめる。 しかし、やはりジーヴズものが一番だ。 ご主人のお褒めの言葉にジーブズが応える「まことに痛み入ります」というフレーズが味わい深い。

いつか王子駅で  堀江敏幸

いつか王子駅で
 この小説、文章の息が異常に長い。 与謝野晶子の文章を読んだときを思い出した。  おまけに、ひとつの文章の中にいくつかの修飾文が存在するため、すっと頭に入ってこない。 そのためはじめは作者のリズムになじめず居心地が悪かった。
 この感じは初めて小津安二郎の映画を観たときの違和感に似ている。 小津は反対にどんどん短いカットをつないでいく。 慣れるまではぶつ切れの印象が強かったが今はむしろこのリズムが心地よい。
 気付いてみるといつの間にかこの小説のリズムに体がなじんでいた。 ある種の船酔いのようなものか。

桜の園・三人姉妹  アントン・チェーホフ

三人姉妹
 これも学生の頃挫折した本。
 今回、何とか最後まで読んだが、まだまだ修行が足りないようで、この本のすばらしさに出会うことができなかった。
 もちろん、どの人物造形も多面性があり、単なるいい人、あからさまに愚劣な人間といった描き方をしていないところはこの時代においては先進的だったのだろうと想像はしたが。
 また、いつか読み返そう。

James Carter / Chasin' The Gypsy

Chasin The Gypsy
 最初の曲の第一音でやられる。 ジャンゴ・ラインハルトの書いた名曲「ヌアージ」のテーマを吹くバス・サクソフォンのごりごりとした重低音。 何度聴いても、やられる。
 私の友人はJBLのスピーカーの性能を堪能すべくこのCDを大音量でかけたところ、下の階の住人から「部屋がゆれるのでやめて欲しい」とお願いされたといういわく付きの曲。
 空きっ腹で聴くと胃がけいれんしそうなサクソフォンの音とアコーディオンやヴァイオリンの音色が不思議とうまく溶け合って独特の音楽になっている。

賃労働と資本・賃金、価格および利潤  カール・マルクス

マルクス
 実はこれ大学1年の時の経済学か何かの教科書で、不熱心な受講者ではあったが「けっこうおもしろかった」ような記憶があり読み返してみた。
 「諸商品の価値は、それらの生産に用いられる労働時間に正比例し、使用される労働の生産諸力に反比例する」という部分の特に前段は授業でも聞いた覚えがあった。
 卒業し、設計という行為で世の中と関わって生きてきて、設計者として生み出している「商品」とは何なのか、いまだによくわからない。
 ましてや、「労働時間に正比例」するものなのかどうか。 だとすると、残念ながらこの商品、その価値通りにはまるで売れない商品だ。
 マルクスがここで前提としている「労働」とは生活の糧を得るためにやむを得ず従事するもののようだが、設計という行為はまったくそうではない。
 わくわくする楽しさにあふれているが、生活の糧を得るのにはあまりというかぜんぜん向いていない。

「津軽」   太宰治

津軽
 二十数年ぶりに太宰治を読み返した。
 学生の頃、そこそこ熱心な彼の愛読者だった。 若さのせいでこしらえてしまう傷口に、塩を塗り込むように彼の小説を読んだ。(ような気がする)
 それから、そこにあふれる自虐性に少しずつ鬱陶しさを感じるようになりずいぶん遠ざかっていたわけだが、久し振りに読み返してみてやはり彼の文章はみずみずしく、屈折しながらも明るさに満ちていることを再発見した。 そう、意外に思われそうだが太宰治はまったく暗くないのだ。
 よくよく考えてみると、私も彼が亡くなった齢をずいぶん過ぎた。 その分、昔読んだときには気付かなかった彼の若さが見えるようになった。 このように古い小説を読み返すというのは、ある定点を基準に自分の移動距離を測る行為に似ている。

イーヴォ・ポゴレリチ / スカルラッティ・ソナタ

ポゴレリチ スカルラッティ
 ずいぶん前に彼のリサイタルを聴いて線が細い割にしっかりとした存在感があるピアニストだという認識をするようになった。
 その時はベートーヴェンとラフマニノフだったが、ベートーヴェンのソナタ11番の演奏を聴いて「このままずっと終わらないで欲しい」と思った。
 以来、時々聴いているがその中でもお気に入りはこのスカルラッティのソナタ集。 それまでのベストはホロヴィッツの弾くスカルラッティだったが、私の中では最近逆転しつつある。 ちなみに次点はディヌ・リパッティのもの。

LOVE PSYCHEDELICO / THE GREATEST HITS

LOVE PSYCHEDELICO

 初めて聴いたとき、当然の事ながら一瞬外国のアーティストが歌っていると思った。
基本的に「ヴォーカルのちから」と「ギターの魅力」だけでどこまでグルーヴ感が出せるかということがこのふたりの試みなのだろう。 そしてそれは100%成功している。
 当たり前のことだが、いわゆる歌ものの好き嫌いはその声との相性で決まる。
ポール・サイモン、エルトン・ジョン、クリス・コナー、シェリル・クロウ、ジェイムス・テイラー、ノラ・ジョーンズ、トム・ウェイツらの声と私の耳は相性がよいようである。
 ぜひふたりのライヴを聴いてみたいが、さすがに息子や娘世代に混じって素直に楽しめそうもない。 それに今だに歌詞がむずかしくて覚えられない。

「街場の中国論」  内田樹

街場の中国論
 いわゆる「内田本」の一冊。
調べてみると、2002年6月に『「おじさん」的思考』という本に出会ってから、この「街場の中国論」まで約5年の間に内田樹という人の著作を(共著も含め)18冊読んだことになる。
 これは異常な数字でご本人も粗製濫造のそしりは免れないとおっしゃっているが、ごく一部を除きそれらを読んでいる側の私の評価は相変わらず高い。
 たとえば、「自立とは何か」ということについて、「ひとことで言えば、それは『自分がどのような依存関係に含まれているかを俯瞰できる知性を持つ』ということである。」というような文章に出会えるのは、うれしい。

「老化とは何か」ほか2冊

老化3冊

 当たり前かも知れないが「老い」というものに対して明るい気持ちになれない。 けれど、それは当然なんだろうか?という自分自身の問いに答えを見つけるために読んだ本。
 これらの本を読んでみて、少なくともわくわく・うきうきするような状況ではないようだということはわかった。 しかし、老いるとはどういうことなのか、結論としては「やっぱりよくわからない」。
 アポトーシスやテロメアの話は大変興味深いが、やはり自分で生きて、老いてみないと結局実感はできないのだろう。

「文化人類学の視角」  山口昌男

文化人類学の視点
 久し振りで読み返してみたら、たいしておもしろくなかった。 今から21年前、この本を読んで「クラ交換」や「ポトラッチ」の話を知り、大変おもしろかったような記憶があるが、すでに知ってしまって読み返すと、どこが?という印象。 残念。 まぁ、こういうこともある。
 同じ著者の「祝祭都市」や「仕掛けとしての文化」の方がまだ、おもしろかったような気がするが、これも読み返すと別の印象を受けるかも知れないが。

「ローマ人の物語 第15巻」  塩野七生

ローマ人15
 山岡荘八「徳川家康 全26巻」は読んだことがないが、この「ローマ人の物語」もそこそこの長さ。 ずっと、発売と同時に読んできた。
 明らかに白眉は「第4巻 ルビコン以前」と「第5巻 ルビコン以後」。 著者のカエサルへの惚れ込みが読む側にしっかり伝わってくる。
 対象への愛情が作品を充実させる好例だろう。
 国家という存在にも「寿命」があり、15巻通読することで、その一生を見届けたことになる。

Miles Davis / Four & More

four and more
一体Miles Davisのアルバムを何枚持っているのだろうと数得てみたら32枚あった。 その中でもっとも好きな1枚。 この時のリズムセクションつまりハービー・ハンコック、トニー・ウィリアムス、ロン・カーターの一体感はいつ聴いても奇跡のようだ。
 特にトニーのシンバルからあふれ出る繊細でありながら燃え尽きるような響きだけでも尽きることのない驚きを与えてくれる。
 こんなライヴを聴くと、これ以降のジャズがこれを超えられずに「伝統芸能化」していったのも無理はないという気がしてくる。

Herzog & de Meuron 1978-2002、2002-2006

H&deM
 通常、建築雑誌を隅々まで読むことはめったにないが、この2冊はしっかりと読んだ。 同じ建築の設計というある意味で不自由な世界にいながら、こんなにアグレッシヴになれる人々がいることに勇気づけられる。 また、同時に我が身をふり返り、その小ささ未熟さに呆然とせざるを得ない。 しかし、こんなにすばらしい設計者がこの世界にいるというだけでうれしくなってくる。

「昭和33年」  布施克彦

昭和33年

 驚くべき、無内容な本だった。 いや、正確には「日本人の大半は『昔は良かった症候群』である」という「内容」をくどくどと繰り返している。 中味はそれだけであった。
 実は、昭和33年は私の生まれた年でもあり、ご多分に漏れず「オールウェイズ三丁目の夕日」をDVDで観たばかりであったため、つい、ジュンク堂で手を伸ばしてしまった。
 「昔は良かった。 それに比べ今の世の中は・・・」という語法に対して、私も「それは単なる幻想でしょ」と冷ややかに心の中でつぶやくことが多い。
 けれども、だからと言って「現在の若者も捨てたもんじゃない。 日本の未来は明るい」という結論にはどう間違ってもつながらない。
 ところが、この本の最終章でこの結論を見たときは、ひさびさに目が点になった。

「わたしを離さないで」  カズオ・イシグロ

私を離さないで

 日本人が腎臓や肝臓などの臓器をフィリピンに買いに行く。 いや、日本人に限らず世界中から多くの人が、生活のために文字通り切り売りされる臓器を求めてフィリピンに赴く。 現在は闇取引きのため、臓器提供者に不利なケースが多く、フィリピン政府は外国人の臓器売買を「合法化」する方向に動いているという。
 この話を聞いて、この小説を思い出した。
はじめは、何の話かよくわからないように書かれている。 そして次第に臓器提供を題材にしていることが明らかになるのだが、結果的にそれは単なる背景でしかない。 近未来の話をごく自然に受け入れられるのは、ベクトルが過去を目指しているからだろう。 このあたりの過ぎ去った話を描く手法は、カズオ・イシグロテイストに満ちている。
 読んでいて、せつなくなる小説だ。

「グレート・ギャツビー」  スコット・フィッツジェラルド

グレート・ギャツビー

 村上春樹は学生の頃から、私がもっとも愛する小説家である。 その彼のもっとも愛する小説家がフィッツジェラルドであり、その中でも「グレート・ギャツビー」は彼にとって最も重要な作品のひとつだということは、つとに有名だ。
 事の成り行きからして、当然私にとっても大切な小説になるはずである。
にもかかわらず、以前文庫本でも読み、ロバート・レッドフォードの映画も観たが、未だに出会いがない。 村上訳で鮮烈な出会いが訪れるかと期待したが、残念ながらそれは「またいつか」の楽しみになった。 まぁ、こういうこともある。
 少なくとも、訳者あとがきと和田誠の装丁に文句はない。

「博士の愛した数式」  小川洋子

博士の愛した数式

 これは、たぶん女性にしか書けない小説である。
日頃読む女性作家といえば塩野七生と須賀敦子くらいで、ごくまれに宮部みゆきを読む程度なので、サンプル数が極端に少ないが、それでも人間同士の関係の近さみたいなものが、感じられた。
 もうひとつ、子どもの頃、姉や友人に借りて読んだ少女漫画の味わいがあった。 どのあたりがそう感じさせるのか判然としないが、私が男であるせいかもしれない。
 まだ、2冊しか読んでいないが、これからどれくらい味わいのある小説を書いてくれるか楽しみだ。

「倫敦塔・幻影の盾・坊っちゃん」ほか  夏目漱石

倫敦塔、坊ちゃん

 それが若さといってしまえば、それまでだが、今読むと、坊っちゃんも山嵐も激しく自己中心的である。 私も自分の自己中心性にはかなり自信があるので、他人の自己中的ふるまいには敏感である。 案の定、彼も私もうまく世の中に順応できていない。
 一方で「倫敦塔」や「カーライル博物館」など非常に格調高く堅い文章を書きつつ、「坊っちゃん」のような無軌道で単細胞ともいえる主人公を作る出せる漱石という小説家は、懐がふかい。

髭 /  Love Love Love

髭

 これまで、進んでこういう音楽を聴くことはなかった。
この手の音楽は、浅薄でうるさいだけと思っていたが、この変態的なうるささが心地よい場合もあり得ることを教わった。 中学校からの友人、吉松くんのおかげだ。
 日頃、聴いているのはマイルス・デイヴィスやチェリビダッケ、スタン・ゲッツなどすでにこの世から去ってしまった人の音楽が多いが、たまには現実に息をしているアーティストに接する必要も少し感じる。 年のせいか。

「磯崎新の思考力」  磯崎新

磯崎新の思考力

 パリに住んでいるシチリア島出身の売れないイタリア人画家が日本に来て「レオナルドとは同郷だ」と発言するに等しいことをあえて言うと磯崎新と私は同郷だ。 彼は大分市、私は別府。 彼も私も建築の設計を主たる職業にしている。 生み出しているものに、売れない画家とレオナルドくらいの差が存在するが気にしないことにしている。
 正直に言って、彼の建築にそれほど強く惹かれたことはない。 しかし、やはり、磯崎新の何かに惹かれてきた。 彼の著作を通して出会った事柄は、非常に多い。
 しかし、1960年代の文章が納められている「空間へ」に比べると、いわゆる「弔辞」の類が増えていて「時の流れ」を感じさせる。 彼ももう70を過ぎた。

「日の名残り」  カズオ・イシグロ

日の名残り

 カズオ・イシグロはうまい。
小説を書いたことはないが、たぶん小説家が読んでも「うーん、うまい」と認めるだろう。(というような気がする。)
 遅ればせながら、この有名な小説を読んで、遅ればせながら、ジェイムズ・アイヴォリーが監督した映画をDVDで観た。 かなり忠実に小説をなぞるかたちで映画作りが行われていたが、やはり、小説の方の魅力がまさっていたと思う。
 10年ほど前までは、いわゆるイギリスの伝統に興味など無かった。 しかし、建築の設計を通して「積み重ねられていく時間」というものについて考えることが多くなり、ヨーロッパの、その中でも特にイギリスの歴史の分厚さに惹かれるようになった。
 というのは、できすぎた話で、ひょっとすると「建築の設計」というのは建て前もしくは勘違いで、「イギリス」や「時間」についての興味をかき立ててくれたのは、「シングルモルト・ウィスキー」や「アイリッシュ・ウィスキー」だったかもしれない。

「吾輩は猫である」  夏目漱石

吾輩はねこである

 はじめて、きちんと読んだ。 こんなに長い小説であったとは知らなかった。
おまけに、活字が小さく、脚注が多くいのでなかなか進まない。 さらに脚注のうちの9割はほとんど無意味な内容であった。
 最近読んだ阿部謹也の「世間とは何か」という本に、当時の文部省が漱石に学位を授与するから出頭せよとの文書を送ったところ「これから先もやはりただの夏目なにがしで暮らしたい」と断った話が載っていて、改めて感心した。

「ペイパードール」  ロバート・B・パーカー

ペイパードール

 久しぶりにスペンサーシリーズを読んだ。 手元の資料を調べると、最初にこのシリーズを読んだのが、1992年1月。
 それから、シリーズ以外も含めてパーカーの小説を21冊読んでいる。 その間にスペンサーとそのパートナー、スーザン・シルバーマンは別れたり、くっついたりしたが、いっこうに年を取った様子がない。
 しかし、それを読んでいる私は14も年を取った。 すごいことだ。

ノラ・ジョーンズ / Come Away With Me

Come Away With Me
 日頃聴く音楽は比率から言えば、歌のない音楽が8割から9割を占める。 常に音楽を聴きながら仕事をしているので、歌詞の意味が耳に入り込んで来すぎるものは避けている。
 中・高・大学と「英語」を学んだはずだが、幸い英語の歌詞はほとんど何の引っかかりもなく通り過ぎてくれる。
 そのおかげで、英語の曲であれば(もちろん、ドイツ語、フランス語でも)BGMとしての役割を果たしている。
 ただ、このノラ・ジョーンズの声は直接こころに語りかけてくれているようで、他のことを考えながら聴くのはむずかしい。
 あのラヴィ・シャンカールの娘というのを聞いて大変驚いた。

チック・コリア / Now He Sings Now He Sobs

Now He Sings Now He Sobs 
世の中には、聴いただけで頭が良くなるような気分にさせてくれる音楽がある。
 少なくとも、私の場合、モーツァルトのピアノ・ソナタを聴いていると、そういう錯覚におちいる。
 そして、もう一つ、このアルバム。     チック・コリアのクリスプなピアノ、ミロスラフ・ヴィトウスの食い込むようなベース、ロイ・ヘインズの正確なドラムスを耳にすると、自分の頭脳までクリアになった気がする。
 タイトル曲の「Now He Sings Now He Sobs」は特に、その効果が大きいように思う。
 しかし、もうかれこれ30年以上も聴いているが、相変わらず「明晰さ」とは無縁の自分を省みると「そういう気分にさせてくれる」以上の効果はないようだ。

ルチアーノ・パヴァロッティ / ラ・ボエーム

ラ・ボエーム
 もちろん、ヴェルディのオペラもよく聴くが、なぜかそれ以上に、プッチーニのオペラを聴くことが多い。
 特に「マノン・レスコー」それにこの「ラ・ボエーム」の躍動感にあふれた音楽を聴くと元気が出る。
 このジャケットのパバロッティは、ソ連時代のブレジネフが付け髭をしたみたいでとてもチャーミングとは言い難い。
 陰影に乏しいという意見もあるだろうが、この人の声は明るくて耳に心地いい。

paとba、あるいはpoとbo

pa ba毎日、コンピュータのモニターをみて仕事をしている。 自宅に戻っても、ネットのページを見ている。
17インチのモニターにできるだけ多くの情報を表示したいと、文字サイズは比較的小さく設定している。
 いつも、思うが「ぱ」と「ば」の区別がつかない。 何とかならないものか。
パス(pass)なのかバス(bus)なのかわからないことがある。
意味のある言葉であれば、前後の関係から推測もできるが、外国の人名などカタカナ表記の場合「p」の音なのか「b」の音なのか判断できず、その都度、モニターの文字サイズを大きくして確かめている。
 現在のような時代に、この識別性の低さは、日本語の弱点あるいは構造的欠陥ではないかと考える。
 いっそのこと、上のように文字のかたちを変えてくれないものか。

JIM HALL / LIVE!

jim hall live
 私がもっとも敬愛するジャズ・ギタリスト ジム・ホールのずいぶん前のライブ録音で高校時代からの愛聴盤。
 もちろんその時代はLP盤だが、今はCDで、というよりも、大半はituneに入れたものを聴いている。
 このCDの中でも3曲目の「Scrapple From The Apple」がいい。 チャーリー・パーカーが作曲したこの曲は、数々の名演があるが、これもそのひとつ。
 ドン・トンプソンのベースは若干音が軽いが、フレーズのメロディラインがいかにも白人らしく、華やかだ。
 福岡ブルーノートで二度ジム・ホールの生演奏を聴く機会があったが、どちらもスリリングで、この上なく美しいインプロヴィゼイーションを味わうことができた。
 やはり、単なるハゲのおじさんではない。

建築-1

ラムネ温泉 2006.5.27見学
露天(?)の浴槽は、ビニールハウスで覆われていて、なかなか楽しかった。 植栽は浴槽の縁近くまで「麦畑」が広がっていて、これも非常に斬新。
ラムネ温泉2


浴槽、壁、天井は特殊な「しっくい」とのこと。 その素材選択は、すごいが「清潔感」という観点は、あっさりパスされている。
ラムネ温泉3


藤森教授のラムネ温泉。
あらゆるところから「人工的直線」を排除することに、心血を注いでいる。
ラムネ温泉1


二子玉川高島屋 2006.5.3見学
既存に継ぎ足して建設されているが、よくよく見ないと気付かないくらい、うまくつないでいた。
高島屋2


じつは、さほど期待していなかったが、大変美しい建築だった。 これ以来、大江匡さんの作品には注目している。
高島屋1

建築-2

バーゼル シャウラガー美術館
 期待に胸をふくらませて訪れると前面に大型トラックが止まっていた。 なんだか様子が変だなと近づくと展示換えのため閉館中。 それでも横のゲートから入り込みぐるりと一周した。
 外壁はこの敷地にあった砂利で仕上げられているそうで、まさに地面から掘り上げられたような印象だった。
 念のため次の日も行ってみたがやはり休館だった。
シャウラガー


バーゼル シュッツェンマット通りのアパートメント
 バーゼルはヘルツォーク&ド・ムロンの街だ。 このシュッツェンマット通りのアパートメントもしっくりと街の中に溶け込んでいた。
 この鋳鉄の折戸、大変重そうに見えるがその予想を裏切らない重さで、1 階の店舗はおそらくずっと閉めていないように見受けられた。
 日本のアルミのぺらぺらの雨戸やせいぜい板張り程度のものと、彼らのずっしり重く頑丈な折戸、このテイスト違い、歴史の違い、文化の違いはあらゆるところで垣間見えた。
シュッツェンマット


アムステルダム オクラホマ 2007.5.11見学
 何故これほどまでに重力に逆らってむやみに跳ね出しているのか、空地率などそれなりの理由があるそうだが、この暴力的な約12m(!)のキャンティレバーをとにかく見たくて悪天候の中訪れた。
 老人用のアパートメントであることにも驚くが、こんな空中に浮かんだ状態でも生活できる人がいるということに感心した。
 地震というものが絶対にない(ことになっている)とはいえ、私が住人だったらはね出しの「根元三分の一」以内しか使えないだろう。
 はね出しを除けば、けっこう愛すべき集合住宅だった。
オクラホマ


ベルリン ユダヤ博物館 2007.5.7見学
 「禍々しい(まがまがしい)」という言葉はこの建築のためにこそ在るのではないかという気にさせられる佇まい。
 歴史の井戸の底に降りていくように、地下へ導かれて展示が始まるのだが、床も壁も傾き尋常ならざる空間が続く。
 ダニエル・リベスキンドという人は建築理論家という印象が強く、このベルリンの博物館ももっと破綻しているのではないかと思っていたが、意外に手堅い部分も多く、良くできた建築だった。
ユダヤ博物館


亀の井別荘 2006.3.10見学

 設計も勿論いいが、やはり経営者のこころざしが高い。
亀の井4

 見学のためにお金をかき集めて宿泊した。
早朝の露天風呂。
亀の井1

聖ヨゼフ寮 2006.3.9見学
ありがたいことに、施設長さん自らご案内していただいた。 内部も大変良かったが、プライベイトな部分なので、掲載できないのが残念。
ヨハネ寮1


10年ほど前、小平市のサレジオ学園を見学してからずっと、藤木隆男さんの作風に惹かれている。
これは、中津にある児童養護施設。
 ヨハネ寮2

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